令和6年6月21日(金) 命のバトン
「○○誕生日おめでとう。今日も一緒に帰ろうね」。。。と給食時間に流れるハッピーバースデイメール。。。。私が教員をスタートした頃からありましたので、きっと保護者の皆さまも記憶に刻まれていることと思います。
今も昔も、人を思う気持ちに変化はなく、誕生日の祝いの言葉は、中学生でなくとも嬉しいものです。。。。ただ、私のように年齢を重ねると少しばかり恥ずかしい気持ちもありますが、子ども達からの「誕生日おめでとう」の言葉は本当に嬉しいものです。それは、教師という仕事の醍醐味かもしれませんね。
さて、本校では子ども達は知らないでしょうが、職員間では、誕生日を迎えた職員は、誕生日コメントを頂く時間をとってます。
職員会議や終礼の後に、ほんの数分ですが、職員みんなから「誕生日おめでとう」の温かい言葉に包まれる素敵な時間があるのです。
この職場は、どうしても、子どもが最優先のため自分の誕生日に向き合う余裕はなく、業務によっては、自分の家族の誕生日を祝えないことも少なからずあるのです。そんな職場だからこそ、みんなで支え合うことの大切さを、誕生日という「誰にとっても特別な日」を介して支え合っていきたいものです。
ところで、誕生日は「誰にとっても特別な日」ではありますが、私の願いは、自分の誕生日は「自分を産んでくれた母」に感謝する日であってほしいものです。
世間には、様々な家族スタイルがあることは承知しているのですが、この世に生を受けたのは、自分を産んでくれた母がいたからではないでしょうか。それはどの子、どの親、誰にでも同じことが言えます。命のバトンは、親、祖父母、曾祖父母・・・とずっと昔から繋がっているのです。
そして、時代を遡(さかのぼ)れば、命のバトンは太平洋戦争の時代も避けては通れません。もちろん「鉄の暴風」と呼ばれた凄まじい攻撃で、4人に1人が犠牲となったと言われる沖縄戦も同じです。戦時中の人々は、生きたくても生きられなかった。死にたくないのに命を落とした。生き延びてほしかったのに命を奪われた。。。先人達の思いは、今の子どもたちにどのように伝わっているのでしょうか。。。。
もうすぐ、慰霊の日。。。。自分の命は繋がっていること。自分一人でこの世に誕生していないこと。。。。そして、先人達の思いを大切にする日であってほしいものです。
すべての子ども達が、平和な世の中で過ごせますように。。。
学校長 新垣 和哉